「黙想 」はじめました

2024年08月21日

「黙想 」はじめました

今年のお盆も

たいへん多くの方にお参りをいただきました

誠にありがとうございました



本当に暑かったですね〜

毎朝本堂をキンキンに冷やしても

扉を開けるとあっという間に冷気は逃げてしまい

さぞかし皆さんも暑かったことでしょう

それでも一緒に大きな声でお勤めいただき

一体感に包まれた法要が毎日勤められました




最終日の最後の法要が終わると

「あぁ、今年も無事に勤められた」と

とにかく安堵感でいっぱいになります




また来年の盂蘭盆会にも

ぜひともお越しくださいませ



本音を言えば毎月の法話の会

1月の報恩講などにも

お参りいただきたいですが…(+ o +)










「黙想 」はじめました

今年から法要の最初に黙想を始めました

黙想(もくそう)とは読んで字の如く
「黙って想う」ということです
亡き方・お別れした方を静かに想う時間です

瞑想(めいそう)は頭に思い浮かんでくる
さまざまな事柄一つ一つに執着して考えないように
さらりと流していくものなので
黙想と瞑想は異なります

お盆なので敢えて"想って"いただこう
と思って始めてみましたが
体験された方はいかがでしたでしょうか?

日頃は忙しくて
落ち着いてそういう時間を持つことは
あまりないのでは?


今このブログを読んでくださっている方


少しこのブログから目を離して
背筋を伸ばして
手を下ろして
静かに目を閉じて想ってみてください





















実は
亡き人の彼方の世界と私の此方の世界は
静かに"想う"ことで繋がれるのです
というより
"想う"ことでしか繋がれません

「お盆はご先祖様が(亡き人が)帰ってくる」と
世間では言いますが…
"想う"ことなくして
帰ってくるもナニもないのでは?と思うのですが…
そうは思いませんか?

「お盆だから帰ってくる」というよりむしろ
「"想う"から繋がれる(会える)」のだと
私はいただいています




日頃は忙しくて
亡き人のこと
ご先祖のこととか
あまり考えない…
そういう方にとっても
「亡き人を"想う"」ことで
いのちの尊さやありがたさ
出会いの尊さやありがたさ
自分の人生を見つめる
そんな意義あるお盆をお過ごしいただけたら…
と想って黙想を始めてみました



お盆に限らず
毎日の生活の中で
短い時間で結構ですので
静かに"想う"時間をおだいじに…

亡き人とは
いつでもどこでも何をしていても
繋がることはできると思います









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【2024年】

住職紹介

前田健雄(まえだたけお)
真宗大谷派一心寺住職。

1977年名古屋市生まれ。
大谷大学大学院文学研究科仏教学専攻修士課程修了。
真宗大谷派ハワイ開教使として5年間ハワイに赴任。
NPO法人ほがらか絵本畑の理事。
名古屋刑務所篤志面接委員

前田健雄