2024年09月04日
先日
私が幼少の頃からお世話になった
先生とのお別れがありました
お別れはもちろん悲しく寂しいのですが…
お世話になった方の葬儀を勤められることは
本当にありがたいことだと
僧侶冥利に尽きる気もいたします
お育ていただいた感謝の念いっぱいに
勤めさせていただきました
私たちはどんな関係であれ
必ず別れなければならない
出会ったという事実がある以上
別れは避けられないものです
仏教では
「愛別離苦(あいべつりく)」と言って
いつ どの時代 どの国に生まれようとも
人間として避けることのできない苦しみだ
と教えられます
悲しみの深さは愛情の深さでもあります
悲しみが大きければ大きいほど
その人の存在が大きいということです
よく耳にしますが
居なくなってはじめて
その人の存在の大きさがわかったと…
私たちは
自分では気が付かないほどに
誰かに寄りかかって
誰かに支えてもらって
自分を生きているのかもしれません
その支柱がなくなってしまうと
自分一人では
まともに立っていられない( 心を保てない)
という状況になってしまうこともあります
しかしそうなってはじめて
自分の人生
いのちということに目覚め
自分で立ち上がらなくては!と
(生きていかなくては!)
人生の再出発ができるのかもしれません
私が聞いてきた仏教は
"答え"よりも"問い"を持つことを
大事にしなさいと教えられてきました
自分自身の"問い"が立たないと
"答え"には出会えないのです
自分の"問い"が立っていないと
どれだけ"答え"を聞いたところで
その"答え"は腑(腹)に落ちません
自分自身の"問い"
それがたとえモヤモヤとした
ハッキリとしないものであっても
"問い"を持ち続けていると
ある日突然
ひょんなことから
「あぁ!そうだったのか!これだ!」
というような"答え"に出会うことがあります
その"答え"は胸を打たれたような衝撃であり
腹の底にドスーン!と落ちるような説得力であり
台風一過の空のような
なんとも言えない清々しさがあり
何が起きても揺らぐことのないような
強大な力を持つ自信となります
"問い"が立つと
"答え"を求める歩みが始まります
その歩みこそが
人生を意味づけていくものとなり
その歩みこそが
人生という道となるのでしょう
あっち行ったり
こっち行ったり
時には立ち止まったり
まっすぐ進む時ばかりではないけれど
"問い"が立っていると
必ず目的地へと辿り着けるのだと思います
この世で出会うすべての人が
私が目的地へと向かう
水先案内人です
【2023年】
【2022年】
【2021年】
前田健雄(まえだたけお)
真宗大谷派一心寺住職。
1977年名古屋市生まれ。
大谷大学大学院文学研究科仏教学専攻修士課程修了。
真宗大谷派ハワイ開教使として5年間ハワイに赴任。
NPO法人ほがらか絵本畑の理事。
名古屋刑務所篤志面接委員