ヘンなはなし(宗教リテラシーVol.14)

2023年12月15日

ヘンなはなし(宗教リテラシーVol.14)

「五濁悪時群生海」(正信偈)の

五濁(ごじょく)とは阿弥陀経の最後にある

「劫濁 見濁 煩悩濁 衆生濁 命濁」の

五つの濁り(汚れ)を指しています





・劫濁(こうじょく)・・・時代の濁り
戦争や疫病や飢饉(天災)などが多くなること
時代的な環境社会のけがれ


・見濁(けんじょく)・・・思想(見識)の乱れ・濁り
思想が悪化すること
よこしまな思想(見識)がはびこること


・煩悩濁(ぼんのうじょく)・・・煩悩のはびこること
貪り・怒り(瞋)・迷い(癡)などの煩悩の
燃えさかる人間のあさましい姿・悪徳がはびこること


・衆生濁(しゅじょうじょく)・・・衆生の果報が衰え心が鈍くなり
身体弱く苦しみの多くなったすがた
人間の資質が低下すること


・命濁(みょうじょく)・・・衆生の寿命が次第に短くなること
最後には十歳までになる
命濁はまた
見濁・煩悩濁・衆生濁という人間の行為によってもたらされる



五濁は初めから盛んではなく
希薄な状態から次第に熾烈になるものであり
これを五濁増という





まさに今の世を言い当てているかのようです・・・


しかし平安時代の頃からすでに
世は末(末法の時代)だと言われていたので
現代はますます五濁が熾烈になってきたのだと
解釈することもできます



ヘンなはなし(宗教リテラシーVol.14)

さて
そこで問題とすべきことは

時代があぁだこぉだ…
政治がどぉだこぉだ…
今の人間はど〜のこ〜の…
あいつが悪いこいつが悪い…
ではなくて…

自分自身はそこで
どう行動してどう生きるのか?と
自分自身を省みることがたいせつです


仏教に関心を持って
学びを深める時に陥りやすいところは
仏教を学んで
賢くなったような気になることです

学んだことを
自分自身に省みることがたいせつです



五濁悪世とは誰かのことではなくて
私が今生きている世のこと
私が見ている世界のこと
時代・見識・煩悩・衆生・命もみな
私自身の人生の世界観のことです

いつの時代に生まれても
どこの国に生まれても
生きてりゃいろんなことが起こります
いつの世でも五濁悪世になり得るのです

それでも
人生を他人まかせにしない
誰かのせいに(他責)もしない
自分自身の一生を
自分自身でどう生きるのか?
そのことを考えるヒントを
ブッダは遺してくださったのです


自分自身の答えを見つけるために
仏教を学ぶという姿勢でなくては
仏教が単なる知識で終わってしまいます


だから仏教は哲学的なのです
どう生きるのか?
その答えは誰も教えてくれません…
その答えはどこにもありません…
自分で考えなくてはならないのです…
















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住職紹介

前田健雄(まえだたけお)
真宗大谷派一心寺住職。

1977年名古屋市生まれ。
大谷大学大学院文学研究科仏教学専攻修士課程修了。
真宗大谷派ハワイ開教使として5年間ハワイに赴任。
NPO法人ほがらか絵本畑の理事。
名古屋刑務所篤志面接委員

前田健雄