お盆日替わり法話⑤

2021年09月07日

お盆日替わり法話⑤


独生独死(どくしょうどくし)

独去独来(どっこどくらい)

【仏説無量寿経】


人は…

一人で(として)生まれ

一人で(として)死ぬ

この世に来た時も去る時も一人








「オギャー」という産声(うぶごえ)

それは一人(孤独)になった悲しみ

母親から引き剥がされた苦しみの叫び声

だと思うのです

(もちろん医学的には

呼吸するためだとかなんでしょうけど)





人は孤独を恐れ

孤独を嫌います

逆に

誰かと一緒だと安心するものです

誰かと一つになることを願います




たとえば日常的なことで言えば

一人で行くのは気が引けるけど

誰か知っている人がいると安心するとか

自分だけ意見が違うかと思っていたら

自分と同じ意見の人がいてホッとしたとか

「愛」「家族」「仲間(グループ)」「一族」

などもそういうことなのかもしれません

想いを一つにするとか

愛する人と結婚したり

ずーっと一緒にいたいと思うとか

一つになりたいと願うものです




なぜそう願うのかというと

生まれた時に「孤独」になったから

ではないかと思うのです




母親のお腹にいたときは

文字通り全身が胎内で包まれて

すべてを母親に委ね

身を任せて生きていた

栄養も命も

母親になにかあれば自分も一緒に…と

母と自分は一つだったわけです

だから安心して生きていられた…

でも「オギャー」と

この世に誕生した瞬間から

母親とは別の一人になって

母親とは別の命になって

「独り」になってしまったわけです

そういう「孤独」をずっと抱いたまま

私たちはこの世を生きているのではないか

と思うのです

だから誰かと一つになりたいと思うし

誰かと一緒だと安心するのではないかと…





そして死もまた

この世のあらゆる関係から

再び引き剥がされてしまうのです

愛する人とも、もう会えなくなる

一緒にいられなくなる…と

恐れや悲しみを抱き苦しむのでしょう






浄土真宗では古くから

「浄土へ還る(かえる)」

という言い方をします

みんな一つのところに還るのだと…

家族やご先祖

先に還ったみんなと同じところに

必ず還るのだと…

だから死後を恐れず安心して生きよう

そして、安心して死んでいこう

そうやって孤独の不安を

安心に転じてきた

それが俗世間で伝えられてきた

信仰だったのだろうと思うのです

そういう安心感によって

「独生独死独去独来」という

どうにもならない現実を

受け止めてきたのだろうと思うのです





お盆日替わり法話⑤

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