今日の勉強会

2021年06月02日

今日の勉強会



本日の勉強会

どんな内容だったのか

ほんの少しだけご紹介




テキストは上記のとおり

友松圓諦生誕百年記念

『法句経講話五十選』です!




友松圓諦(ともまつえんたい)さんは

愛知県稲沢市出身

法句経をわかりやすい言葉に

翻訳されて、世に広められた方です

東京の神田に

神田寺というお寺を建てられました

今日の勉強会



<ここから長文 ご注意ください>



<今日読んだところ>

法句経86

善く説かれたる法をききて

身はその法にしたがう

かかる人々こそ

越えがたき

死の境域(さかい)をこえて

彼の岸に到らん


【友松圓諦 氏訳】
正しく説き示された真理を耳にして
その真理をまことに
さながらに践(ふ)み行う人
こうした人のみ
越えがたい死の領土をふみ越えて
ついに彼岸に達す


「善く説かれたる法」とは、
いうまでもなく釈尊の巧みな説法
のことである。

—中略

とはいえ、法を聞いただけでは
本物ではない。
これをかみしめて反省思索すること、
さらに、
これを身に実行してこそ、
初めて本当の智慧を持つことが
出来るのである。

—中略

いくら般若心経を百万回読んでも
心経の精神「空」の一行を実行せねば
何にもならない。





…と、こんな感じで
法句経の一章ずつを講題に掲げて
日常的な言葉でわかりやすく
講話が編纂されている本です。


でもこれだけじゃ
なんのこっちゃさっぱりわからん
かもしれませんね…(^^;;)
興味のある方は
買って読んでみてください(^^;;)
もしくは勉強会にご参加ください!




…で
変わり者のじゅーしょくが
今日解説したのは
般若心経(はんにゃしんぎょう)と
六波羅蜜(ろくはらみつ)
について…

浄土真宗では
般若心経は読まないし
専門ではありませんが…(^^;)
とてもだいじな
仏教の根本的なことです



“ありがたい話”を聞いただけでは
「聞いた」というだけで実になりません
聞いたことを反芻し
教えを鏡として自分を省みて
内容をよく噛みしめて
そして実行(実践)しなくては
実にならない(身につかない)ものです

仏教の修行に限らず
何かの習い事でもスポーツでも
仕事でも教育でも
なんでも同じだと思います

実行(実践)してはじめてわかるものです
それは身体をつかって
全身で理解していくのです

これを名古屋弁で
「ごたゃぁげ」(御体解)
と言ってきた歴史があります

また私自身も
「仏法は食べるもんや」と
教えられてきました
聞いたことをよく噛んで味わって
身(栄養)になっていく…
そうでなければ
仏法を聞いたことにはならない
ということだと理解しています



「般若」とは「智慧」です
仏の智慧をいただくには
身体で理解していく
それが六波羅蜜という修行であって
その修行は世俗の生活の中でも
十分に実行・実践できるものです


ボランティアに参加するのもよし
困っている人の役に立とうとするもよし
誰かに温かい言葉をかけたり
やさしく接したり笑顔で接したり
心を配ったり
なんでもいいから
見返りを求めず施しをする
それを布施(ふせ)と言うのであって
それは実行・実践であり、修行なのです



実行・実践し続ける中で
思い通りにならないことに腹が立ったり
相手に感謝を求めたり
見返りを求める自分に気づかされ
どこまでも自己中心的な自分
ダメな自分を思い知らされる…
それがだいじな「修行」なんですね
世間から離れて山に籠ったり
何か特別なことをすることだけが
修行ではなくて
日常にこそ修行の場(機会)があるんです



仏道とは
ブッダと同じ悟り(覚り)を目指す道
悟り(覚り)がゴール(目的)なんですが…


最近思うのは
ゴール(目的)を持って生きているか?
ってこと…
「私はどうなりたいのか?」
それが明確にないときは
あれこれと文句を言ってばかりで
他を非難してばかりで
自分が実行・実践していないとき


「私はどうなりたいのか?」
が明確になると
今、何をしなくてはいけないのか
が明確になり
他者を非難したり文句を言っている
暇も余裕もなくなるはず…


社会が悪い
政府が悪い
時代が悪い
なんでも人のせいにしようとする
そういう心に支配されていないか?

あれこれ頭で考えてばかりいないで
まずは実行・実践
どんなことでも一歩を踏み出して
歩みを進めてみると
新たな世界が開けてくるぞ!


と、ブッダ(お釈迦様)から
問われているように思います

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