誰かの役に立ちたい

2023年12月23日

誰かの役に立ちたい





「誰かの役に立ちたい」


そう言う人
時々いるけど・・・

素晴らしいなぁ
善き志だなぁ
とは思うけど・・・

「働く」とは「側(はた)を楽(らく)にする」
なんて言葉も聞いたことがあるけど
そもそも仕事って
どんな仕事であっても
誰かの役に立っているから
存在しているわけで
誰の役にも立っていないなら
その仕事は存在するはずもなく・・・


モノづくりの仕事も
サービスも公務員も
工場も接客も事務も何もかも
どんな会社もどんなポジションも
誰かの役に立っているから
存在しているはず・・・
だからどんな仕事に就いても
誰かの役に立っているのでは???


けれども
「誰かの役に立っている」という
実感が感じられなかったり
見え辛かったりするから
「誰かの役に立ちたい」
という言葉(想い)になるのだろうなぁ・・・
と思うのですが・・・
どう思いますか?

誰かの役に立ちたい




誰かから「ありがとう」と感謝されたい!
充足感を持って仕事したい!
そう思う気持ちは
とてもよくわかります
そういう仕事に就きたいという気持ちも
とてもよくわかります

でも漠然とした
そういう想いから仕事を選ぶと・・・
「誰かの為に」と思うあまりに
自分を追い込んで
自分を犠牲にしてしまったり
自分の思っていた通りには
感謝してもらえなかったり
自分の想いとは裏腹な反応が返ってきたり
思っていた以上に「たいへん」ということ
結構あると思います


結局は
どんな仕事に就いても
「誰かの役に立っているかどうか」は
自分の考え方次第
取り組み方次第
なんじゃないのかなぁ〜
だからこそ
「誰か」を主体に考えるんじゃなく
「自分」主体で考えて仕事を選ぶことが
大事なんじゃないかなぁ〜



むかしテレビで
小児がんの小さな子が
「生きているだけで誰かの役に立っているんだ」
と言っているのを見て
とても感動したことを覚えています

生きているだけで
そこにいるだけできっと
誰かの役に立っているんだと思うよ・・・
それを自分が実感しているかしていないか
だけのこと・・・


そして・・・
それはきっと・・・
「ありがとう」と言われる前に
「ありがとう」と誰かに言える自分でいるかどうか
なんだと思うよ



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【2024年】

住職紹介

前田健雄(まえだたけお)
真宗大谷派一心寺住職。

1977年名古屋市生まれ。
大谷大学大学院文学研究科仏教学専攻修士課程修了。
真宗大谷派ハワイ開教使として5年間ハワイに赴任。
NPO法人ほがらか絵本畑の理事。
名古屋刑務所篤志面接委員

前田健雄